フランス V



  2000年以上前にローマによって作られたニームの町は、こぢんまりとした町でした。ここの古代闘技場は綺麗な形が保たれていました。翌日のコンサートのために足場が組まれていたので、中へは入りませんでした。右はローマのアポロン神殿を模したと言われるメゾン・カレです。

闘技場  メゾン・カレ

  翌日はアルルとレ・ボー・ド・プロヴァンスとアヴィニヨンを観光しました。ゴッホの跳ね橋とゴッホの収容された病院の中庭は、簡単に写真撮影のみ。庭の花は綺麗に手入れされていました。

跳ね橋  療養所

  アルルの闘技場は、ニームの物とは形が少し違っていました。でも、保存状態はニームの方が良かった。狭い通りを列をなして歩いて見学しました。古代劇場は、昔の人が自分の家を建てるために石材を持っていったので、少ししか残っていませんでした。そこでも、コンサートの準備が始まっていました。アルルの町を歩いている時、冷たい風が吹いていました。ミストラル(アルプスからローヌ渓谷を通って地中海に吹く乾燥した寒冷風)です。ミストラルとは先生という意味のフランス語だそうです。

アルルの闘技場  古代劇場

アルルの狭い通り    カフェ・ヴァン・ゴッホ

  上の写真はアルルの狭い通りと古代劇場から見たサン・トロフィーム教会とカフェ・ヴァン・ゴッホです

  レ・ボー・ド・プロヴァンスは大変人気のある観光地のようです。かつての城塞都市も今はおみやげ屋さんばかりです。でも、白い石灰岩の風景は大変珍しい物でした。

レ・ボー   レ・ボー

  サントン人形はプロヴァンス地方でクリスマスに飾る人形です。そのサントン人形の博物館があったので覗いてきました。これらはガラスのケースの中に飾られていました。至る所にサントン人形を売っているお店が有りました。

サントン人形  サントン人形  サントン人形

  アヴィニヨンでは遠くからサン・ベネゼ橋を眺めて法王庁を見学しました。法王庁のガードの一人の人が、盛んに「こんにちわ」と日本語で挨拶をしてくれました。彼は日本が大好きで日本に住みたいと言っていました。法王庁の中は、ほんの一部だけが写真撮影を許可されていました。フランス革命の時にほとんどの調度品やフレスコ画などが奪われてしまったので、その素晴らしさはごく一部残された物から類推するだけです。

  下の写真左は法王庁の遠景。法王庁の右側は聖マリア教会。右はローヌ川にかかる「サン・ベネゼ橋」。私たちは「橋の上で踊るよ・・・」と歌ったものでした。何度か修理はされたけれど、17世紀の大洪水の後は、今の状態のままだそうです。2年前の洪水の時も、法王庁の入り口辺りまで水が押し寄せたそうです。

法王庁  サン・ベネゼ橋

  アヴィニヨンの町は演劇祭の真っ最中でした。広場では色々なパフォーマンスが繰り広げられていたし、カフェもその様子を眺めている人たちでいっぱいでした。日本人の男女のペアもパフォーマンスを演じていました。拍手喝采を浴びていたので、嬉しく思って握手をしてきました。

日本人のパフォーマンス  似顔絵  カフェの人々  パフォーマンス

  ホテルのあるニームの町でお祭りが催されていたので、夕食後みんなで見物に行きました。日が暮れるのが遅いので、花火が上がるのは10時半からでした。翌朝の出発が早いので、花火は少しだけ見物しました。小さな子供達も、お祭りを楽しんでいるようでした。

(2004.07.26 掲載)  フランス W






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